福井県には、紙の神様がいます。今でも。
1500年ほど前、「 岡太(おかもと)川の川上に住むもの」と名乗るお姫様が
「この辺りは田畑が少ないが、きれいな水に恵まれているから、和紙を漉いて生計を立てなさい」
と今立に住む村人達に紙漉きの技術を教えたそうです。
そこから今立は和紙の里として栄えることになり、
助言されたお姫様は川上御前と名付けられ
岡太・大瀧神社に紙の神様としてお祀りされることになりました。
普段は裏山にたたずむ奥の院でお祀りされているのですが、毎年5/3〜5/5の3日間だけ、里宮まで神様をお迎えするという例大祭・神と紙の郷の春祭りが行われます。
県の無形民俗文化財にも指定されているこの祭り、「圧倒されるから一度は体験した方がよいよ」
と和紙の里の方が口々におっしゃるので、薫風吹き抜ける最終日に参加してきました。
祭りのために毎年作られる花万燈。江戸時代から続くこの産地ならではの民芸です。
越前和紙を大量に使った傘は華やかで、会場のランドマークに。
神と紙のまつりのメインイベントはなんといっても、神輿渡りと呼ばれる、和紙の里にある5つの神社を巡航する行事です。 和紙の里は五箇(ごか)と呼ばれる大滝町、岩本町、不老町(おいず)、定友町、新在家町の5つの地区から成り立ち、それぞれの地区に神社があります。
これらの神社を、神輿を担ぎながら練り歩いて(時には走って)ゆきます。
和紙でできた風車が和紙の里を彩ります。
神輿を守る鳶さん。大の字が入った青い法被を着ています。
祭りの先導役といったところでしょうか。
神明神社。山の上にあるこの神社へ、階段とは思えない軽快な足取りで上ってゆきます。
そして、他のお祭りとの一番の違いは 自分の住む地区に神様を長居させるために
地区同士で神輿の取り合い(もみ合いと言うそうです)をするところです。
一番の盛り上がりをみせるのが、岩本神社。
紙祖神に留まってもらいたい岩本組と、大滝にお神輿を連れて行きたい大滝組の男衆がもみ合いながら神輿を押し合います。
岩本神社からお神輿を出そうとする大滝組。しかしなかなか出してもらえません。
もはや、もみくちゃ。
何度かもみ合いが行われた後、無事鳥居を出ると、境内に拍手の音が響き渡ります。
鳥居を出た大滝組は見えない早さで大瀧神社へ。
(ブレブレの写真しか撮れませんでした・・・)
その夜、大瀧神社までお戻りになった神様を、 裏山の奥の院までお返しする「お上がり」が行われます。
浦安の舞が終わった後、片道40分ほどの山道を、白丁と呼ばれる選ばれし者が4人を主として神輿を担ぎ、奥の院まで運んでいくのですが・・・暗い山道を高張と提灯だけで登るため、ほとんど何も見えません。 途中でろうそくの火が消えようものなら大パニックでした。(特に私)
奥の院へ神様を返した後、静まり返った大瀧神社の境内で
♪ シャン・シャン・シャン
もう 一つ こい
シャン・シャン・シャン
祝うて三度じゃ
おシャン・シャンの・シャン ♪
と全員で手締めをして祭礼は終了します。「今年も無事に神様をお返ししたな〜」という法被姿の方々の顔といったら。 時刻は既に23時。きっと疲れているに違いないのに、その誰もが爽やかな顔をされてました。
本気で神様を奪い合う地区の人々。名誉なことだと言って、白丁の準備をする若い男衆。夜中にろうそくの火だけで神様をお見送りする、というやり方。明かりが消えて、静まり返る境内。
とある御方が言った「白丁はしゃんしゃんと神様をあげるのが仕事なんや。肩外したりしたら、絶対にあかんのや」という言葉が印象的でした。
1500年変わらないやり方で、紙の神様に敬意を払う。
「日本古来の祭り」と揶揄されるのもうなずけます。
祇園祭に匹敵するお祭りなのではないかと個人的には感じました。
今回、この祭りについていろいろと教えていただきました
越前和紙青年部の方々をはじめ、和紙の里の皆さま、本当にありがとうございました。
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